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産後のドタバタで過ぎ去りし話題となった「出産」の話。 今更ですが。
このブログで「行ってきまーす!」と書き気合十分で挑んだ7/20の夜、実はそのまま入院できませんでした
。着いたら「急な患者さんでドタバタで、用意してた部屋も使えなくなっちゃったの。申し訳ないけど改めて電話するから出直してもらえる?」なんて事になり。 なんのこっちゃーと拍子抜けしてそのまま帰宅したのです。 サスガはベース(笑) で、翌7/21の午前9時過ぎに仕切りなおして入院となりました
ジョシュアが生まれたのは7/22 AM10:33 母子手帳の"分娩時間"欄には「24時間」と記載されてます。 ちょっと出産をナメてた私は促進剤を使えばもっとツルっと出てくるものなのかと思ってました。なんせ子宮口が頑固なまでに開かなかったのねー。午前中から処置を開始してたものの、Active labor(子宮口が4cmまで開く)になったのは夜9時ぐらい? 夕方までは殆ど痛みもなく、ただただテレビを見たり本を読んだりダラダラと過ごすのみ。 付き添いでポールとうちの母も一緒の部屋に居ましたが、それはそれは暇そうでした。 ポールなんて、「もうさ、手っ取り早く切って出しちゃえば~?」とか言い出す始末だし。"無痛分娩"
陣痛の痛みを抑えつつ、Babyをいきんで押し出すだけの力を出せる程度の半身麻酔をかけての出産です。 「痛みが強くなってきたら処置をするから、すぐに言ってね」って言われてたのに、結構ムダにギリまで耐えちゃったんだなー、私。 「そろそろお願いします~
」ってナースに話してから、準備が整って麻酔医が来て処置(腰にぶっとい針を入れて注入) 麻酔が効き出すまで1時間近く。 あれはねー、失敗でした。 麻酔医がインフォームド・コンセントであれこれ説明してくれる頃にはもう相当痛く、そんな前置きはどーでもいいからさっさと始めてくれ~
!!な感じ(笑) 実際サインはしたもののどんな内容だったか殆ど覚えてませんし。 でも効き始めたら また元のラクチンな状態に逆戻り
。 ガンガン陣痛は起きてるはずなのに、グースカ寝てました。 しかし!! そこからも進行はとってもスロウ。 一晩中「うーん、なかなか開かないねー
」を繰り返し、「これ以上長引いたら切っちゃうかと思ったけど、何とか自然分娩で行きましょう
」の9cm越にようやく到達したのは朝方でした。 そしたら今度はあまりに時間がかかったせいか麻酔が切れちゃってねぇ。 切れた途端にものすごく激しい痛みがいきなり助走なしで襲ってきて、もう一回麻酔医に来て貰って追加してもらうまでの時間が死ぬほど長く感じました。 でも追加されたっても、最初と同じ量を入れてくれたわけじゃないのか 実際に分娩するときは殆ど切れてたの。 ここまでに至る陣痛の辛さを麻酔で飛ばしてズルしちゃったわけだから体力的にはもちろん楽だったんだけど、産むときの痛さは多分標準でした。 無痛分娩で産むとはなんぞや?どんな感覚か? ゆえになんだかよく分からないままです。処置を開始してから産むまで、ずっと同じ分娩室に居たんです。 ポールと母の立会いで出産しましたが、私がいきんでる横で彼らはコーヒー飲んでました。 分娩台から見える位置に吊り下げられたTVは、切られることなくずーっとつけっ放し。ちょうど皆既日食の日だったんだよね。”OK! push!! now!"と言われながらヒーヒーいきんでる時、”特ダネ”で大村君が奄美から中継してました。 ”うぇー痛いよー"と思いながらも、生まれた瞬間に画面に映る映像が日食のダイヤモンドリングだったりしたらスゴイかも~
!! なんて頭の中ではわりかしヨユーな考えが巡っていたのだけど・・・・残念ながら産まれた時間に放送されていたのは"キッチンでSHOW” ”その瞬間”に見た映像は、フライパンの中で炒められている豚肉とナス(笑) きっと一生忘れないと思います。
出産してから1時間もしないうちに分娩室には昼食が運ばれて(これがチキンやパスタなど、かなりヘビーな献立)、前日からまともに食べてなかった私は麻酔の針も刺しっぱなしでひたすらガツガツ頂き その後昼頃までには個室の病室へ移動しました。Babyは測定を終え、キレイに洗ってもらってキャスター付の透明なケースの中へ。 持ち込んでいた自分達の荷物と一緒に、母が病室まで運びました(笑)
言われていたとおり翌々日には退院。 それって短くない?とかベースの病院ってどうなの?とかもあったけど、私的には全然退院が早すぎるとは思わなかったし、病院のスタッフも皆いい人で殆ど不自由もなくこれといった問題はなかったです。 とにかく色々あっても、無事に産まれて来てくれて良かった。 そんな思い出の3日間でした。
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